大崎善生が8月の初旬に亡くなって、彼の遺した作品ばかり読んでいたら、8月ももう終わり。どうやら王様のブランチのブックコーナーで大崎善生『聖の青春』が取り上げられたようで、古書市場でも、メルカリなどではそれまでは最低価格の300円で売られていたのに、一気に枯渇しています。テレビの力は、まだあるのですね。 『聖の青春』を今回また読んでみて、とてもよかったです。最近の棋士は、AI相手に指しているなんていう漠としたイメージがありますが、いやいや、AIには大局観なんてわからないのではないでしょうか。仮に大局観とは何かを、人間が機械に向かって定義・指示しても、それを超える大局観が人間によってまた簡単にみつかってしまうと思うのです。大局とは常に更新され続けるものなのでしょう。村山聖の大局観は、長い闘病生活のなかで培われたもので、それは彼の死生観と結びついていたように思います。 「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は、死んでも、もう一度人間に生まれ変わりたい。」 将棋が指せなくなるからと、末期がんの痛みにも麻酔薬いっさいなしで立ち向かい、意識を失った死の寸前でもそらで棋譜をつぶやきながら死んでいった村山聖の大局観と、彼のこの死生観を述べた言葉は密接に関係しているような気がいたします。彼の将棋の大局観もまた、「悲しみ、苦しみ」の産物であり、そして何度でも転生する永遠の対象なのではないでしょうか。大局を完全に見失っているように見える現在の日本人に足りないのは、 「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。」 という起点かも知れません。 セレクト文庫では、大崎善生作品の文庫本、多く取り扱っています。 さて、セレクト文庫のBGMは、「母語過敏」と私が勝手に呼んでいる、テレビやラジオから聞こえてくる日本語に、やたら過敏になってしまう癖が私にあるので、日本語のお唄やラジオのおしゃべりは避けています。 私が好きなジャズ喫茶が東京にあって、そのアカウントが毎日、1枚のおすすめアルバムをXでつぶやいてくれるので、それをかけたりします。 それ以外には、AFNが多いです。810キロヘルツ、米軍人向けのラジオ放送です。毎時に必ず英語ニュースが入るので、大まかな時計替わりになります。下館は大洗町よりAFNをしっかり受信します。それだけで...
古文庫本と茶器の小さな店。 二坪に満たない店には、物故作家の文庫本のみ並べています。 かわらない一冊、なつかしい一冊、きえてほしくない一冊をセレクト文庫。 妻が笠間でつくる小さな茶器もご覧ください。 しもだて美術館と板谷波山記念館のあいだ。