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茨城古書組合新年会

先月、GHQによる統治の技法である「3S時代」がフジテレビとともに終わったかと思ったら、なんとまあ2月は米国のリベラル・デモクラシーそのものが、トランプ政権でサドンデス。 それは私なりに考えれば、世界の警察官であった米国が、ふたたび世界の泥棒の仲間入りを果たす瞬間という、ベルリンの壁崩壊以降で最大の常識転換なのではないかと思うのです。ベルリンの壁が壊れた年に大学生になった私としては、あれからずっと続いていた価値観が急に終わったという驚きを禁じ得ません。 「我が国は米国の普遍的価値とともに」という敗戦後のゆでガエル的思考停止が突然許されなくなり、GHQは沖縄等日本国内基地からもどんどんいなくなって、GHQ-米軍による日本の安保は、いわば24時間オープン無人餃子店のような「泥棒ホイホイ」のがらんどうになってしまい、ただひたすら軍事費という名の高額なサブスク料金を掠め取られるザッカーバーグのメタのメタ状態、メッタメタのリアル北斗の拳時代の到来ではないかと思っております。 そんな時代だからこそ、かわらない一冊、なつかしい一冊、きえてほしくない一冊をちまちま集めて棚に並べるだけの簡単なお仕事であるセレクト文庫にも、小さな時代的役割が与えられつつあるのではないか、そう思っています。 筑西市内でもっとも岩波文庫や講談社文芸文庫、講談社学術文庫が揃っている場所は、敗戦後の価値観の終わりという急展開を迎えている今日においてこそ、意味があるのではないかと思うのです。下館から東大を目指すようなハイブロウな若者は、メッタメタのSNSをそっ閉じ、岩波文庫や講談社学術文庫、講談社文芸文庫を読んでくださいね。 さて、茨城古書組合の交換会(市場)は、毎月水戸で行われます。水戸は水戸学の中心地、つまりは尊王攘夷の源流であって、その「尊攘」がやがて友と敵を分け、幕末から明治初期の水戸は、もののふにとどまらないその女子どもまで血で血を洗うこの世の修羅場となりました。 私は下館へ来る前に、3年ほど大洗に住んでいましたので、水戸城と太平洋の海岸線との近さが実感としてわかります。米国、近い近い近い。大洗から毛唐が攻め込んでくる身体的恐怖こそが、水戸っぽの「尊攘」につながっていったのではないかと私は思います。 ケネディからバイデンまでの米国は、リベラル・デモクラシーそのものでしたので、いまの常識からすると太平洋...