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6月, 2024の投稿を表示しています

初版1刷の意味

本日は、セレクト文庫はどのような「セレクション」をしているのか? についてお話します。 最初の投稿で、文庫本になっている時点で、その本はもう市場原理で選ばれていると書きましたが、その条件によってだけですと、この世界には大量の文庫本の古本が存在しています。これらの膨大な文庫本の海で、どのような本を拾い上げて2坪に満たない空間に並べるのか? セレクト文庫は、5つの視点を持って本をセレクトしています。 ひとつ目は、すぐには役に立たない本を、選んでいます。仕事に役立たない、点数稼ぎにならない、「こんな本を読んでます」と上司に言っても全然褒められない。そういう本です。すぐに役に立つ本は、すぐに役に立たなくなります。すぐ役立つ本の多くは、すでにYouTubeに取って代わられています。すぐに役立つ本は、私としては情報商材と大差がありません。 ふたつ目の視点は、読むのに集中力が必要な本をセレクトします。読書のコツは、最初の50ページくらいをとくに集中して、メモなども取りながら、時間をかけて熟読することです。その50ページが矢鱈と濃い文庫本を意識して選んでいます。よくベストセラーなどの帯で、「面白すぎてあっという間に読み終わった」みたいな惹句が書いてありますが、読書にコスパ、タイパを求めるなら、YouTubeにはかないません。 みっつ目は、レーベルです。岩波文庫、ちくま文庫、河出文庫、講談社文芸文庫、講談社学術文庫などを優先して選んでいます。文庫本はハードカバーと比べても、その質において、レーベルのブランドがさらにものを言いうジャンルなのです。古書市場では、良質な文庫本は加速度的に希少になってきており、文庫本の値打ちにピンキリの格差が出て来ています。 ブックオフなどの、単にそのコンテンツが世に出た新しさと、大衆の人気だけで売値を決める古書店では、100円でも売れない大量の文庫本が産廃業者に回収され、燃やされてCO2に変えられてしまう一方で、優良な文庫本古書は、ニッチな市場ではありますが、その値打ちが増しています。 そしてもうひとつ大切にしているのは、できるだけ初版1刷をセレクトしています。版とは原稿のこと、刷とは印刷物のことです。はんこで言えば版は印鑑そのもの、刷は押印された紙のことです。 1刷は「いちずり」と読みます。「いっさつ」だと「1冊」と紛らわしいので、読み分けているのです。...

アナログ・トランスフォーメーション

 本日2024年6月22日土曜日の午前11時に、おかげさまでセレクト文庫を開業しました。どうぞよろしくお願いいたします。 この場所が、はんこ屋さんだった頃に、ここで手彫りのはんこをつくってもらっていた方が、ここを懐かしんで訪ねて来てくださいました。 最近は、印鑑もコンピュータで彫る時代になってしまったし、DXという魔法の二文字によって、押印そのものを省略、なんてことも増えています。私としては、世間は、デジタルとアナログの意味をかなり取り違えているのではないか? とふと思うときがあります。デジタルこそが薔薇色の未来、という宣伝が強すぎませんか? デジタルの単数形であるdigitのもとの意味は、人間の「指」のことです。指で数をかぞえるとき、1の次は2しかありません。1と2のあいたの淡い移ろいは、丸っと消されてしまうのです。つまりデジタルとは、現実世界にある整数部分のみを残して、あとは思い切って捨ててしまうことです。 いわば断捨離の世界。世界認識を、特定の目的のためにわざとスッカスカにすることです。はんこの必要ない、あるいは紙の本のないDX後の世界はつまり、スッカスカの世界ということです。いま世間を騒がせている、有名人を騙るSNS投資詐欺事件などは、はんこによる面と向かっての信頼がスキップされて、なくなったことと無関係ではない気がします。 もちろん、現代の複雑な世界を、あえてデジタルの骨組みだけで捉えて動かしたほうがうまくいくことも、グローバル資本主義においては多いのですが、それはだいたい、金儲けがうまくいく類のものではないかと思います。 私は2010年頃から、Evernoteというデジタルノートを使ってきたのですが、そのEvernoteが経営に行き詰まり、数回に及ぶ事業売却の末に、Evernoteに残した私のライフログも、あと数年でアクセスできなくなるのではないかと心配しています。Googleのサーバーにある私の情報で最も古いのはせいぜい10年前のものです。紙よりもデジタルのほうが闇に埋もれる気がします。 これからは、デジタルプラットフォーマーに対して自由でいられる余地を敢えて残しておく、アナログ・トランスフォーメーションの逆張りが重要になると私は思っています。GAFAの手のひらにすべてを預けてしまうのではなく、肝心要のところは、手元にアナログで持っておく。SN...

はんこ屋さんから、ぶんこ屋さんへ

はじめまして。セレクト文庫店主です。 ご縁あって、この春に 筑波山を越えて、 大洗から下館にやってきました。ネットで賃貸物件を探すなかで、これだ! と思うものに出会いました。それがこの店の地である筑西市甲、田町の小さな店舗つきの戸建住宅です。 ここは数年前まで、はんこ屋さんだったと、地元密着の不動産会社の社長に伺いました。 2メートル×3メートルのこの狭小空間を、うまく活用できないか? 自分たちの好きなことを活かして、小さな空間だからこそできることはなんだろう? 結果生まれたのが、 古文庫本と茶器の小さな店・セレクト文庫 です。 はんこ屋さんから、ぶんこ屋さんへ。 ここは、言霊のいる場所だと思いました。 はんこもぶんこも、どちらも文字を写すものです。 はんこもぶんこも、文字で人と人の信頼をながくつなぐものです。 そうだ。小さな店だからこそ、文庫本だけの古本と、磁器を中心とした小さな茶器の店をやろう。文庫本も茶器も、 どちらもスマホと同じ、片手で ハンドリングできる類の文明のコミュニケーション・ツールです。小さな利器を並べるのなら、小さな店こそがぴたりと来ます。 Selected, Small, Slow。 この3つのSによって、いま文庫本は、その意義を再発見されつつあると思っています。 文庫本とは、市場によって、すでに選ばれたものです。よく売れた ハードカバーの新刊書籍だけが、選ばれて文庫本になります。この本は、広く遍く読まれてほしいという望みの賜物なのです。 また、文庫本はとても小さいので、持ち歩きに便利です。スマホと一緒に持ち歩けます。加えて値段もハードカバーよりも安い。 どこでも手軽に手に入れていつでも読める、いわばモバイルコンテンツとしての文庫本は、良い本を人々にどんどん普及させるための、日本の優れたメディアフォーマットです。 さらに文庫本は、綴じられた 紙に刷られた文字列です。 スマホの、 解像度が粗く、すぐになにかとリンクされてしまうテキストと比べて、その 没入感が、半端ないのです。 SNSによるアテンション・エコノミー全盛の饒舌の時代だからこそ、 文庫本を片手に、ゆっくりと茶を飲むという、真逆の、黙して安らぐ、あえてつながらない、スローな独り時間が大切ではないかと思うのです。 こういった文庫本の時間と、私の妻が笠間の工房で制作した茶器を新結合した、 S...